ハナコサン その1 YUZUKUMA
 

カラ、カラ、カラ、カラ、カラ……

誰が言い出したのかわからない。
でも、皆が知っている。
4番目のトイレ。
そこにハナコさんがいて、自分の大切なものを代償にして、呪いをかけてくれる……


「でもさー、うちの学校って、4番目のトイレがないじゃんね」
「だから余計に不気味じゃない?」
「噂だとさ、本気で呪いたい相手がいる時にだけ、扉が開かれるらしいよ」
「やだあ?マジで?」
「放課後、4時キッカリに一人でトイレに行くと……」
「ちょっと、やめてよ!4時なんてまだ部活やってるんですけど」
臆病なクラスメートが声を上げた。


N高校、2年C組。
私達のフロアの間にも、トイレがある。
クラスの子たちが話していたとおり、この学校のトイレは3列の個室が向かい合っている形で、合計6個の個室になっている。
だから4番目の個室が一体どこなのか分からないし、そもそもそんなものはない、というのがもっぱらの話だった。

「あたし、確かめてみるよ」
人一倍好奇心旺盛な野島さんの声が聞こえた。
私も話の輪に入る。
「でも、怖くない?」
恐る恐る私は言った。
「そんなのあるワケないじゃん。美術部はトイレの側だし、途中で抜けて、4時キッカリに行ってみる」
「呪いたい相手がいるのー?」
他の女子がちょっと引きながら、言った。
「いない、いない……。だからもしホントにハナコサンがいてもさ、行っても何も起こらないかも」
「誰か、呪いたい相手、考えようよ?」
「じゃあさ、体育の堀越!」
「いいねー!アイツ、女子更衣室盗撮してたってウワサじゃん。教頭がもみ消したらしいけどさ」
「あれ、絶対マジだよね?ほんと堀越ってサイテー、キモイ」

その後は、盗撮疑惑のある体育教師、堀越の話で盛り上がり、休み時間は終わってしまった。


「女子の話ってくだらねーな」
同じクラスの男、賀川高次に声をかけられた。
「でも面白そうじゃない?」
「そうか?怪談なんて、結局何も起こらなくて、あったとしても集団ヒステリーみたいなんで終わるのがオチだろ」
「そうかも、だけど」
楽しそうに盛り上がっていた野島さんたちを思い出す。
「何かワクワクするじゃない?」
私は笑って言った。

高次……タカジは、幼馴染だ。
それも、幼稚園からの。
小さい頃から親同士が仲が良くて、幼稚園や小学校低学年頃は、休みの度に他の友達と一緒にでかけたものだった。小さい時からの写真も、山のように家にある。

私はタカジが好きだった。
意識したのはいつからだろう。
タカジは目立つ男じゃない。どちらかというと平凡で、女子のウワサになったりすることもなかった。
だけどタカジは優しくて、すごくいいやつだ。私はよく知っている。
いつか、付き合えたらいいなと漠然と考えているうちに、もう高校生になってしまった。
単なる幼馴染のクラスメート。
告白さえしていない。そんな関係で甘んじていられたのは、タカジも誰かと付き合ったりしていなかったせいだ。

私だけの、タカジ。
きっと、いつか。

そんな風に、夢を見ていた。


「どうだった?昨日は?」
次の日、一斉に野島さんが皆に囲まれた。
「別に、何もないよ……。夕方4時にトイレに行って、
…何もないから、用足して帰ってきただけ」
「なーーんだ」
「そもそも、4番目のトイレがわかんないし…。やっぱり分からなかったよ!」
彼女の笑い声が教室に響く。
皆ガッカリしながらも、どこかホっとしていた。

しかし、その話題が一気に爆発する出来事が起きた。

体育の授業中、堀越が捻挫したのだ。

「ちょっと……やっぱり」
「そんなわけないでしょ!」
野島さんは焦っていた。
誰もが偶然だと分かっていたのに、誰もが薄く野島さんを責めていた。
そんなところに、野島さんの親友が助け舟を出した。
「でもさー、あの堀越だよ?案外、色んな人に本気で呪われてるのかもよ」
「それ、言えてる」
「もしかしたら、誰かが本気で…」

そこで野島さんが言った。
「だけど、昨日、トイレで本当に何も起こらなかったよ?4番目のドアが開く…って話だったけど、そもそも全部のドアが開いてたし、やっぱりどのドアだか分かんなかった。それに、堀越のこともすっかり忘れちゃってたもん」
「ふーん……」
野島さんへの非難は一旦収まったものの、それでも皆釈然としない感じだった。
ただ、相手が堀越だったせいで、みんながどこか「いい気味」と思っているのも事実だった。


通学時間。駅まで向かう道。タカジと私の家は近いので、時々一緒になる。
「単なる偶然だろ」
「そうだよね、…だけど本気で怖がってる子もいたよ」
「ははは」
タカジは笑いながら、駅の方を見つめる。
「じゃ、今日はここで!また学校でな!」
「え…?あ、うん」
私は先に改札を抜けた。
朝から何の用事だろう?
私はホームの自販機に隠れながら、タカジの様子を伺った。

………あ

女の子がいた。
確か、他のクラスの子。
その子とタカジは仲が良さそうで……きっと、付き合っているんだろうと、誰の目に見ても分かった。
タカジは見たこともないような笑顔で、その子を見ていた。
その子は、とても大人しそうな子で、タカジに控えめな笑顔を返していた。
(幸せそう……)
何年も思い描いていたタカジとの世界が、自分ではなく知らない子で、今、目の前で繰り広げられている。
(…………)
指先が震えた。
気がつくと、足も震えていた。

ショックだった。

どうしてタカジが誰とも付き合わないと思っていたのだろう。
どうしてタカジが、自分のものだと思っていたのだろう。
どうしてタカジは、私を選んでくれなかったのだろう。
どうして、どうして……

タカジにとって、私は何の魅力もなかったんだ。
そうでなければ、こんなに何年も近くにいて、何とも思わないはずがない。
それぐらい、私達は近くにいたのだ。
(タカジ……)
私は自分を責めた。
もっと魅力のある女の子だったら。
タカジに愛されるような女の子になれたなら。



私の、ものにしたい。

そんな考えがよぎると、頭から離れなくなった。
どうにもならないのに。
ふと、野島さんたちが話していたハナコさんのことを思い出す。




放課後、4時。

私は一人でトイレに来ていた。


カラ、カラ、カラ………

小さな音がする。
音のする方を、私は探す。
それは小さすぎて、すぐに耳から離れてしまう。

そうこうしているうちに、もう10分ぐらい経っていた。


「何、やってるんだろ……」

誰を呪いたいわけでもないのに。
私はタカジに告白したわけでもない。
誰も責められないのに。
責めたいのは、自分自身だ。
どうして何もしなかったのだろう。
もっと、こうしていたら…と、後悔の念ばかりが起こる。
情けないのは、自分自身だ。
呪うのなら、今まで何もしてこなかった自分自身だ。
「ひっっく……ひっ…」
知らないうちに涙が出ていた。

カラ、カラ、カラ、カラ………

かすかに、音が大きくなっていた。
一人きりのトイレ。
手洗い場にいた私は、個室の方へ向き直った。

一つ、ドアが閉まっている。
入り口から向かって左側の奥、右側から数えると、1、2、3…折り返して4。


カラ、カラ、カラ………

この音、ペーパーを巻く音だ。
さっきから誰かいた…?
記憶というのは曖昧で、開いたドアにばかり気をとられていたせいで、よく分からなかった。

カラ、カラ、カラ、カラ、カラ………

一歩、また一歩近づいてみる。
私は、ドアの閉まった個室の前に立った。



「っ!」

… 数ミリ、ドアの隙間。
個室を埋める黒い影。
人のそれとは思えない、大きな目。


―― じっと、……私を見ていた。




〜ハナコさん (終)

 
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