「ねえ、寄ってこうよ。炭酸Lで100円だって」
「うん、喉カラカラ!今日、古坂、ずーっと見てたじゃん。
あいつたまにしか来ないくせに、厳しすぎ」
悠子はショートカットのうなじに手をあてて、日焼けした顔に白い歯を見せる。
「今月、超 お金なくってさ」
黙っていると大人しく見られる奈津実は、肩までの髪を後ろで一つに縛っていた。
二人は改札口を抜ける。
8月に入った駅で、制服姿の少女は少ない。
夏休みに学校へ行っているのは、悠子たちのように部活動をしている生徒ぐらいだ。
二人は普段どおりに、いつものファストフード店に入っていく。
夕方になっても店内は混んでいた。
「めんどくさいよね、下見」
悠子はハンバーガーの紙をガサガサさせて、ため息をつきながら言った。
「練習試合なんだから、その日いきなり行ったらいいのにね」
大きなカップを手に、奈津実も答える。
「そもそも、古坂が一人で挨拶に行ったらいいのにさ、あいつ一応顧問なんだから」
指に巻いたテーピングを、悠子はグルグルと外していく。
K女子高のバレーボール部は、県内でもそれほど強い方ではない。
そんなこともあって、この部に所属している生徒は、皆、部活動に対する心構えがゆるい。
「あ、ねえねえ…この前、皐月と一緒にカラオケ行ってさー」
悠子は携帯電話を取り出した。
写真を探すため、画面を指先でなぞる。
「これこれ、この写真、爆笑」
「なにー?この皐月の顔!笑える!」
二人は盛り上がりながら、悠子の携帯の画像をスクロールした。
「あれ…?」
悠子の動きが止まる。
「何?」
「こんな写真、撮ったっけ?」
「どれどれ?」
奈津実は身を乗り出して、悠子の携帯を見た。
悠子と奈津実、二人とも笑って、両手を広げてポーズをとっている。
ありがちなアングルだ。
「これ、誰に撮ってもらったんだろ?…覚えてる?」
「えーっと…、まず、ここどこよ?」
「どこだろう〜??全然覚えてないよ」
背景は緑で、木の葉に夏の日差しが照り付けている様だった。
「うーん、でもこれ、異常になっちの写りが良くない?」
悠子は笑った。
「えー、いつもどおりでしょ?いつもこんな感じだよ、失礼だなあ」
ムっとしながらも、奈津実もすぐに笑顔になる。
その写真のことは、それ以来、二人ともすっかり忘れてしまっていた。
数日後、悠子と奈津実は、古坂に指定された某駅のバス停にいた。
練習試合の相手校に挨拶をするために、顧問である古坂と、次期部長の奈津実、そして奈津実の指名の悠子と、3人でA高校に向かうことになっていた。
「ねー、A高って共学じゃん、カッコいい男子いるかな」
「うーん、でも期待しちゃうよね」
女子校の二人は、しばらくそんな話をしながら盛り上がっていた。
「古坂、遅いね」
奈津実は腕時計を見て言った。
「えーっと、何時だっけ?」
悠子はカバンに手を入れ、携帯電話を探す。
「やっば、ケータイ忘れてきちゃった。サイアク」
顔面をこれ以上崩れない、というところまで崩して、悠子は脱力する。
「あ、古坂からメールが入ってた」
古坂からのメッセージを奈津実が確認すると、電車の遅延でまだ到着できないという。
「なんだよ古坂、顧問のくせに遅れるなよ」
携帯電話を家に忘れた悠子は、いらだちの矛先を古坂に向けた。
「まあまあ、…電車の遅延ならしょうがないんじゃん?」
奈津実は悠子をなだめる。
「どうでもいいけど、ここ日が当たりすぎじゃない?暑すぎるよ」
悠子の機嫌はますます悪くなっていく。
A高行きのバスはこのバス亭からしか出ず、さっきから直射日光の下で二人は立ち続けていたのだ。
「…あ、バス来たよ」
「もう、乗って、先行っちゃおうよ。古坂置いて」
悠子は荷物を持ち直した。
「……」
部の中でも責任感のある、次期部長の奈津実は少し考えた。
「A高行きのバスって、すごいカワイイじゃん!なんかテーマパークにありそうだよ」
悠子が嬉しそうな声を出す。
艶やかな緑色に塗られたそのバスは、確かに美しかった。
機嫌の直ってきた悠子を見て、奈津実も彼女の案に賛成することにした。
後ろの扉が開く。
「わーーーー、涼しい!」
「ほんと、生き返る〜」
二人は一番後ろの広い座席に、ドカっと荷物を置いた。
すぐにバスは発進する。
閉め切られた車内に、冷房がよく効いていた。
二人はいつものように他愛もない話をし、笑った。
山道、車に触れそうなほどに伸びた木々の間を抜け、バスは加速していく。
「なんか、すごい田舎だよ〜こんなとこに通学って、すごい根性いるよね」
流れる景色を見ながら、足をブラブラさせて悠子はつぶやく。
奈津実も頷いた。
「県内にこんなところ、あったんだ」
「…ねえ、さっきから、もうだいぶ走ってない?」
「ああ…そうだね」
左手をあげて、奈津実は腕時計を見る。
「古坂、もう駅についたかなあ」
奈津実はなぜか胸騒ぎがした。
初めて来るのに、懐かしい…不思議な感覚。
それでいて落ち着かない、言いようのない不安。
「なんだかトイレ行きたくなっちゃった」
悠子はため息をつく。
「あとどれぐらいで着くかなあ」
そう言って奈津実を見つめた。
「しょうがないなあ、運転手さんに聞いてこようか?」
「うん、あっ、あたしも行く」
二人はゆっくりと席を立ち、座席につかまりながら前へと移動する。
「あのー……」
奈津実が身を乗り出す。
斜め後ろから悠子が様子を伺う。
「ヒッ!!」
運転手の顔を見て、二人は一瞬息を飲んだ ―――
奈津実も悠子も、黙ったまま、席へと戻っていく。
二人は何も言えなかった。
バスは加速していく。
――― 緑の中へ。
風の強い日だった。
薄く開いた窓のカーテンが、悠子の机の上にあった時計を倒す。
その音が大きくて、何が倒れたのかと悠子の妹は、姉の部屋に入ってきた。
「あれ、お姉ちゃん、携帯忘れてる…」
普段、悠子は携帯電話を肌身離さず持ち歩いていた。
『お金より大事』
と、公言していて、悠子が携帯を忘れることなんてありえなかった。
それなのに、机にポンっと置かれているその機械。
悠子の妹は違和感を感じた。
「………」
まるで引き寄せられるように、手に取る。
何の気なしに、画面に触れた。
データフォルダには、一枚の写真しかなかった。
たった一枚のデータ。
悠子と奈津実が、緑を背にして笑っていた。
(終) |