虫の知らせ DORI
 

「虫の知らせ、って、いうじゃない」
 涼子が窓辺に身を乗り出すようにしながら言った。
 今までポツリ、ポツリと続いてきた話題からすれば、いかにも唐突な言葉だったが、その場にいた5名のクラスメートたちは、そうは思わなかった。
 涼子の近くの席に腰掛けていた男子が答えた。
「予感、だろ? 特に身内とか知り合いとかに不幸があるときの」

 彼らが涼子の発言を唐突に思わなかったのには理由がある。
彼らの所属する2年1組のクラスメートのひとりが、現在生死の境を彷徨っているのだ。
彼は4日前の下校途中に交通事故に遭った。もちろんすぐに病院に搬送され治療を受けたが、頭蓋骨陥没骨折で重態、今も意識不明の状態が続いている。
彼の事故を知ったクラスメートたちは、もちろん悲嘆に暮れたし、何とか命を取り留めて欲しいと心から願った。涙を流す女子さえいた。しかし一方、非日常感からか、どこか祭めいた高揚感もあった。
だが、彼の意識は3日経っても戻らない。次第に当初の高揚感は失われ、今日ともなると、朝からクラス中に沈鬱な空気が漂っていた。
3日も経てば、現実に彼の“死”というものを考え、予感しないわけにはいかない。同い年の、しかもごくごく身近な存在である人間の“死”を、ひしひしと実感してしまうのだ。

 だから涼子たちのグループも、いつも通り放課後教室に居残って、トランプをしながらの雑談に耽ろうとしていたのだが、どうしても盛り上がらない。どうしてもいつもとは違う。
どうしても、彼のことを考えてしまう。
彼の“死”について。
リアルな“死”について。

「悪い予感を、何で虫が知らせてくるのかなあ? 虫より鳥とかのが、気持ち悪くなくていいのに」
ゲームが続かなかったトランプで、手持ちぶさたげにひとり占いをしていた女子が聞いた。
「あ、なんで虫かっての、読んだことある……ええとね」
いかにも物知りという感じのメガネ男子がこめかみに指をやり、眉間に皺をよせつつ。
「庚申信仰ってのがあるんだよ、中国の道教からきたヤツでね。んで、それによると人間は体内に三尸虫ってのを飼っててさ」
ええっキモいっ、回虫かよ? と声が上がるが、メガネ男子はそれを制し、
「回虫ちゃうって、リアルの虫じゃねーの。その三尸虫はさ、60日に1回巡ってくる庚申の日……昔風のカレンダーとか神社でもらう暦にそんなん書いてあるだろ……その夜、飼い主が寝てる間にさ、天帝のところに行って、オレの飼い主はこの60日間の間にコレコレこういう悪さをしましたよーって告げ口すんだとさ」
性格わりー、いじわるだー、寝てる間ってのがまた、とまた声が上がる。
「全くだよな。っつーか、告げ口されないよう、毎日ピシッと過ごせよっつーいかにも道教的な教えなんだろうけどな。でも、人間どんなに真面目にやってても少しは悪さしちゃうじゃん? だから虫の裏をかいてやれっつーんで、庚申の夜は寝ない風習ができた。宿主が眠らなければ、三尸虫は告げ口に行けないんだな。んで、どーせなら眠くならないために、みんなで楽しくすごそうぜっつーんで、集落毎に庚申講って集まりを持つようになったんだ。それが庚申信仰っつって江戸時代あたりにすごい盛んだったんだ。いや、何するわけじゃないみたいだよ。みんなでお堂に集まって、神様が描いてある掛け軸かなんかかけてさ、世間話してお茶飲んで一晩すごす……いや俺だってミステリ小説で読んで得た知識なんだから、んな詳しくは知らねーって」
メガネ男子は苦笑してから。
「というわけで、虫の知らせってのは、その三尸虫から来てんだって説があるわけよ」
窓を背にして話に聞き入っていた涼子は、ふうん、と頷いて考え込む。
「虫の知らせって……リアルの虫のことじゃないんだ?」
「そりゃそうだろうよ。だって、ゴキブリ見かけたからって不幸になるわけじゃないだろ?」
男子の言いぐさに、涼子以外の女子たちは、イヤだー、見ただけで充分不幸よっ、と騒いだ。
しかし涼子だけは静かな声と表情のまま。
「でも、リアルの虫が知らせてくれることもあるみたいだよ」
皆の視線が集まる。
涼子は開け放たれた窓から、夕暮れの空に視線をやり。
「私のお祖母ちゃんがね……」
と、話し出した。

 戦後すぐ……昭和22年とか23年の夏のことらしいんだけど。
お祖母ちゃんは中学生で、ひとりで店番をしてた。お祖母ちゃんの実家は、山形で食料品店をやってたの。
その頃、お祖母ちゃんのお兄さんのひとりが病気で入院してたの。出征して、生きて帰ってこれたまでは良かったんだけど、戦地で病気に罹っちゃってて。帰国して治療しても、病気は段々重くなって、その夏には仙台の大学病院に入院してた。
今でこそ山形〜仙台間なんて通勤圏だけど、その頃はそれなりに遠かったみたいで、交通費もかかるしね。夏休みなのになかなかお見舞いに行けなくて、あーあ、お兄さん良くなったかなあ、会いたいなあって、お祖母ちゃん、店番しながらぼんやり考えてたんだって。
そしたら。
開け放ってた店の表から、黒い蝶がひらひらって舞い込んできたんだって。
すごく大きな、黒い蝶。
まるで羽がビロードみたいにつやつや光ってて、見たことがないくらい、ものすごく綺麗な蝶だったって。
なんて綺麗な蝶……って見とれて。
でも食料品屋さんじゃん、虫入って来たら困るよ。蝶は鱗粉も落ちるし。
我に帰ったお祖母ちゃんは、持ってたうちわで蝶を外に出そうと、こう、ばたばたと蝶をあおいで。
それでも蝶はひらひらと店中を逃げ回って、なかなか外に出ていかない。お祖母ちゃんは一生懸命追いかけてね、苦労の末、何とか店の外に追い出すことができた。
でも。
少しして、またその蝶が戻ってきた。
うん、同じ蝶だよ。だってものすごく大きくて綺麗な蝶なんだもん、いくら田舎だからってそんなのが何匹も連続で飛んでこないって。
わあ、なんでまた来るの、って、お祖母ちゃんがまた蝶と追いかけっこしてると、店でバタバタしてるのを聞きつけたのか、倉庫整理をしてたお母さん……お祖母ちゃんのお母さんだから、私の曾お祖母ちゃんね……が、店で何騒いでんのよって出てきて。
でね、お祖母ちゃんが、あの蝶が出て行かないの、何度も来るの、って、うちわで黒い蝶を指したら。
曾お祖母ちゃんは、ハッ、とその蝶を見つめてね。
ひらひら、ひらひら、って店中を飛び回る蝶を、じいっと目で追ってね。

 あれは―――追わなくていい。

 ってそう言ったんだって。
どうして? って、当然お祖母ちゃんは聞きたかったんだけど、曾お祖母ちゃんの顔が、なんだかとっても真剣で、青ざめてみえるほど。だから、聞けなくて。
ただじっと、ふたりで蝶が店を飛び回るのを見てたんだって。
蝶は、5分くらい飛び回った後、店を出て行った。
そして出て行った瞬間―――電話が鳴った。
曾お祖母ちゃんは、電話に飛びついて。

 その電話は、お兄さんの危篤を知らせる電話だったんだって―――

 涼子の声が途切れると、彼らしかいない2年1組の教室は、沈黙に包まれた。近所のクラスのざわめきや、校庭の部活動の声が、やたらと耳につく。
誰も何も言わなかったが、その時全員が、入院しているクラスメートのことを考えた。
考えずにはいられなかった。

 そして、誰かが、重苦しい沈黙を破ろうと口を開きかけた時。

――ひらひらと。

 開け放たれた窓から。

 蝶が。

 真っ黒で、とても大きな。
ビロードのような羽の。
見とれてしまうほど美しい、禍々しいほど美しい。


蝶が。



(終)



 
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