T高校の合宿所のとある1室には、なぜか床の間が存在する。
何の変哲もない12畳の和室の北側の壁に、半間の床の間。一般家庭の和室や和風旅館ならば、何の不思議もない造りだ。しかしそこは合宿所である。しかも同じような和室が他に5つもあるのに、床の間があるのはその2階の一室だけなのだ。
その床の間、当然花や掛け軸が飾られることなど全くないので、大概、合宿でその部屋に当たった生徒たちの荷物置き場になっている。
今年の夏休み中のこと。女子バレー部の合宿1夜目。その床の間の前で寝た1年生の直美は、妙な夢を見た。
まず金縛りが訪れた。しかし直美は金縛りの経験があり、しかも金縛りのメカニズム……身体は疲労状態で熟睡してるのに、脳だけ眠りが浅くて半覚醒しているという、単なる生理現象である、という説を知っていたので、すわ心霊現象かと慌てることはなかった。ただ、早く解けろ、解けろ、と朦朧とした頭で念じていた。
しかしそのうち、パタパタパタ……という、連続した物音が聞こえてきた。畳を子供が走り回っている、軽い足音のような。しかもそれが次第に近づいてくる。
直美は最初、先輩たちが仕掛けたドッキリだろうか、と考えたが、すぐに、夢を見ているんだろう、と思いなおした。なぜなら、12畳に6人が寝ているのであるから、畳が露出している部分は少ない。布団を踏んで走り回ってもこんな足音はしない。それにこんなに駆け回っているのに、同室に寝ている同輩たちは誰ひとりとして目を覚ました様子はない。
しかし、金縛り中でもあるし、夢だとしたって気持ちは悪い。醒めたい、起きたい、と念じているうちに思い出した。
金縛りって、目だけ動かせたりすることもあるんじゃなかったっけ?
直美は、えいと瞼に力を入れてみて――びっくりするほどあっさりと、瞼が開いた。最初は暗闇しか見えなかったが、廊下や窓から漏れてくる灯りで、合宿所の暗い天井がぼんやりと見えてくる。
しかし、足音は止まない。むしろ、ますます近づいてきた感じがする。横たわる直美の回りをくるくると走り回っているようだ。
これ、まさか、夢じゃないの?
一瞬直美はぞっとしたが、すぐに「夢の中で目覚める夢」の類だろうと考え直した。たまにあるではないか、目覚めたら大寝坊していて、焦って学校まで走ってこうとして、そこでもう一度目が覚めて、ああ、夢だったんだ、と、ホッとする……というような夢が。
夢ならば、金縛り中であっても目以外のところも動くかもしれない、と直美は首を動かそうと試みた。しかし動かない。せめて視線だけでも、足音の方に向けてみようとしたが、それもできなかった。
しかし……
気配がする。見えなくても、何かが走り回ってる気配がする。直美の周囲をぐるぐると駆け回っている。
夢だ。
これは夢だ、と直美はそう思っている。少なくとも自分にはそう言い聞かせて、平常心を保とうとしている。しかし、夢だとしても不気味なことには変わりない。ここまで気持ち悪い思いをしているのに、金縛りも解けず、半覚醒状態からも目覚めないということは、よっぽど体が疲れているのだろう。目を覚ます方向ではなく、もう一度夢をみないくらい熟睡してしまおう、と、直美はぎゅっと目を閉じた。
すると、直美が目を閉じるのを待っていたかのように。
ピタリと足音が止み。
いきなり、足もとの布団がバサバサッと煽られた。
さすがに直美も悲鳴を上げそうになった。しかし金縛り状態であるから、喉元までこみ上げてきた悲鳴は声にならない。
それに、変だ。
夏休みの合宿所の、ろくにエアコンの効かない広い部屋である。体の上に掛けているのはバスタオル1枚きりだ。足は出して寝ているのに、どうして足下の掛け布団が煽られる感触がするのか?
寝ている回りを駆け回り、布団をあおる。まるで子供のいたずらのようだが、高校の合宿所に子供が入りこむことなど、まずありえないことだ。
ありえないこと……
ありえないから、やっぱりこれは夢だ。
夢なんだ!
バサバサと煽られる感触は続いていたが、直美はますます堅く瞼を閉じ、不気味な夢が去ってくれるのを一心に念じた。
―――そして、気づいたらいつしか寝入っていて、朝になっていた。
ひどく寝覚めは悪かったけれど、やはり夢だったんだろうと、直美は思うことにした。スッキリはしないけれど、そうとしか説明できない。
だから直美は、その夢のことを誰にも話さなかった。
実は。
女子バレー部の前に合宿所を使い、同じ部屋の同じ場所に寝た、サッカー部員の佐々木も、同じように金縛りに遭い、同じような夢を見ていたのだった。
彼も、ひどく気持ちの悪い夢だとは思ったが、所詮夢であるからと、誰にも話すことはなかった。
実は。
更にその前に合宿を張っていた、吹奏楽部員の楓子も、同じような体験をしていた。彼女は、金縛りと不気味な夢でひどく消耗し、次の朝に貧血で倒れてしまった。
しかし彼女も、金縛りとその最中に見た夢については、誰にも語らなかった。
実は。
女子バレー部の2年生・香里も、前年の夏合宿で、同じような経験をしていた。やはり彼女も誰にも語らなかった。
今年の夏合宿がはじまる時、この不気味な体験について思い出し、香里はふと不安になったが、今年は部屋も違うし、たかが夢であるから、と気にしないことにした。
ただ、昨年彼女が寝た部屋に割り振られた直美たち1年生部員に、ひとこと言ってあげた方がいいだろうか……と少しだけ考えた。が、変に不安にさせない方がいいだろうと、結局何も言わなかった。
そして、今年の女子バレー部・夏合宿2日目の夜。
直美は、昨夜寝た床の間の前から、布団を移動した。何となく、この床の間のせいで金縛りや不気味な夢を見てしまったのではないかと感じたのだ。
あくまで何となく、ではあったが……
と、その直美が空けた場所に、チームメイトのひとりが布団を敷こうとした。
「あ……そこは空けといた方がいいよ!」
「え、どうして?」
チームメイトは布団を抱えたまま、きょとんとしている。
―――金縛りをおこして、気持ち悪い夢を見てしまうかもしれないから。
直美は一瞬迷ったが、正直なところは言えなかった。夢であると認識してしまえば、それはあくまで個人的なものだ。
「……床の間の真ん前で寝ない方がいいって、お祖母ちゃんに言われたことあるんだ」
「へえ、縁起が悪いとかそーゆーこと?」
「うん、多分、ほら上座だし……」
「でも、そういう直美が、昨夜そこに寝てなかった?」
他のチームメイトがツッコんできた。
「えっと、だから、寝てるうちに思い出したの。思い出しちゃうと、なんか寝覚め悪くてさ」
我ながら苦しいな、と直美は冷や汗をかいたが、
「ふーん、じゃあ避けておくかー。合宿中にケガでもしたらたまらんもん。かつげる縁起はかついどくにこしたことはない」
チームメイトは素直に場所をずらしてくれた。
直美はこっそりと、安堵の溜息を漏らした。
結局、直美もその体験を、誰にも話すことはなかった。
だから多分、今でも……
T高校の合宿所では、多くの生徒が、床の間の前で、金縛りに遭い、不気味な夢を見続けているのだろう。
(終)
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